« ヒューマンデザイン「リビング・ユア・デザイン」講座について | トップページ | いよいよです♪ »

2013年4月 8日 (月)

取るべき態度、かけるべき言葉?

先週、島根の奥出雲に住んでいる母方の伯父が急に亡くなりました。高齢だったのですが、最近まで元気にしていたとのことだったので、とても驚きました。

母には兄弟が多く、殆ど会ったことのない親戚もいるのですが、島根の伯父・伯母夫婦のところへは、子供のころ、毎年夏に家族旅行で行っていて、大人になってからも何度かお邪魔しているので、とても心に残っている伯父でした。

お葬式が土曜日にあったので、夫と車でかけつけました。

実は、もともとこの土日に、島根県に行く予定にしていて、某温泉地に宿もとっていました。日曜日に島根の松江で用事があるのですが、土曜日はフリーなので出雲に行こうかと夫と話をしていて、出雲のお客様でヒューマンデザインに興味を持っていた方に、「セッションできますよ」と打診もしていたのです・・・。

それがこんな形で予定変更になるとは、驚きです。人の死に際して、それすら「宇宙の采配」なんて言ったら、不謹慎でしょうか。(ただ、不謹慎というのは、「こうあるべき」という制限から感じるものですね。)そういうところですら、タイミングがうまくはまっていたというのは、本当に驚きです・・・。

さて、私は、人は死なない(肉体を離れるだけだ)と思っているので、人の死に対しては、かなりドライな部分があります。肉体は借り物。それを地球の自然界に返すだけです。そして、人の亡くなるタイミングも決まっているのではないかと思います。(私たちが生まれてくるタイミングを選んで生まれてくるのと同じですよね)

それでも、ずっと寄り添ってきた親しい人を亡くした身内の方の気持ちを考えると、心が痛みます。

こういう仕事をしていながら、そのような場面でその人にかける言葉に、とても迷います。で、帰ってきてから、「あー、あんないい方しなければ良かったなぁ。もっとこういう風に言えば良かったかなぁ・・・」と、色々と振り返って、落ち込んでみたり・・・。

ただ、どんな言葉も態度も、自分が100%相手のことを思って、ピュアな気持ちで言ったとしても、受け取る相手次第で、どのようにでも受け取られることは実感しています。

(逆に口先だけで相手をいい気分にさせて信頼を得たりする人もいますしね。)

人間って、難しいですね。

こういうときに「とるべき態度、かけるべき言葉」というのはあるのでしょうか。「べき」になると、形式だけになってしまうようにも思います。でも、それでも、悲しみの渦中にいる人たちは、たとえ形式だけ・うわべだけの言葉や態度だとしても、心が安らぐのかもしれません。そう思うと、どういう風にするのが一番いいのか、あれこれ考えすぎてしまうのですよね・・・。

ところで、お葬式では、木魚を叩きながらお坊さんがお経を唱えるパターンだったのですが、私、リアルで木魚での葬儀を見たのが、初めてだったんです。
木魚のシーンはドリフターズのコントでしか見たことがなくって、私の中では「木魚=コント」のイメージしかなかったんです。

「うわぁ、マジでお葬式に木魚ってあるんや~・・・」

現実にそれを見ると、コントのイメージが脳裏に浮かび、正直、笑いをこらえるのに必死でした・・・。

「こんな時に笑っちゃいけない」と思えば思うほど、笑いがこみ上げてくるのですよね。

はぁ。葬儀の真っ最中に笑うなんて、とっても不謹慎だわ・・・。なんて思いながら。
そこでまた、最初に書いた、『「不謹慎」というのは、「こうあるべき」という制限から感じるもの』という考えがよぎったり。

スピリチュアル的に言えば、肉体の死は、お祝い事なんですよね。
この辛い現象界から卒業して、真と美と幸せしかない世界に行くのですから。世界には、笑いの絶えない葬儀もあると知っていますが、そういう感覚を持ち合わせていない人たちにとっては、死は悲しみでしかない。
だから、そういう葬儀の真っ最中に笑うのは、ヒンシュクですよね・・・。

なんか、何が言いたいのかわからない記事になりましたが、私の頭も、まだまだたくさんの「こうする(しない)べき」という「べき」がある事に、改めて気づきました。

で、「べき」があることが悪いみたいにスピリチュアルでは言われていますが、はたしてそうなのだろうか・・・なんて思ったりね。 ある程度の「べき」は必要なんじゃないかとか。

まぁ、何が良いか悪いかなんて、受け取る人次第ですから、この辺にしておきます。

今回の記事で、気分を害された方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。

伯父の冥福を祈りながら。合掌。

***

【お知らせ】ただ今受付中のイベント 締切延長しました
2013年4月13(土)、14(日)はヒューマンデザインの基礎となる『リビング・ユア・デザイン講座 in 京都』を開催します。(締切:4/11(木) 残席3名)予定が直前までわからない方、ご相談ください。

2013年4月13(土)夜は、ヒューマンデザインLYD受講者対象の勉強会(京都)を行います。(締切:4/10(水) 残席2名)

2013年4月17日(水)は、ランチつき「ヒューマンデザイン体験・説明会(京都)」を行います。(締切:4/10(水))

2013年4月15(月)~19(金)は、京都にて、各種個人セッション(リコネクティブ・ヒーリング、リコネクション、ヒューマンデザイン各種リーディング)です。

詳細は以下のHPをご覧ください。

リコネクティブ・ヒーリング(R)、リコネクション(R)
リコネクション(R)米国本部公認プラクティショナー (広島・京都)

ヒューマンデザイン・システム
ヒューマンデザイン・ジャパン認定アソシエイト、国際認定LYDガイド(広島・京都)

いつもポチっとありがとうござます☆
  ↓↓↓
人気ブログランキングへ

|

« ヒューマンデザイン「リビング・ユア・デザイン」講座について | トップページ | いよいよです♪ »

コメント

お悔やみ申し上げます。

記事の主旨とはちょっとズレますが自分も結構人の死にドライです。多分自分が死ぬ時も死ぬこと自体は怖がらない気がしてます。

悲しいのは生活すべてをそういう視点で見てしまって、何か自分に起こる事を客観的に見て冷静、と言うか感情が薄いのが嫌です。
最近魅かれてた人と離れるのですが、辛い半面でああでも何かこの別れも意味があるのか?みたいに考えになるのが二重にやりきれないです。

投稿: マサトシ | 2013年4月 9日 (火) 07時07分

マサトシさん、いつもありがとうございます(^^)
人の死にドライな人、実は割といるのかもしれないですね。そんなドライな自分を責めたり自己嫌悪に陥っている人もいるのかの。

ヒューマンデザインの観点では、感情が豊かな人と、普段はドライな人(他人の感情を受けるタイプ)と半々いるのですが、私もマサトシさんも、普段はドライなタイプなので、そのことについて自分を責める必要はないんだなぁと、マサトシさんのコメントを読んで気づきました(^^) 感情が全くないわけではないですしね☆

「別れも意味がある」その通りだと思います(^^)
コメントありがとうございました!

投稿: さち♪(管理人t) | 2013年4月 9日 (火) 08時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ヒューマンデザイン「リビング・ユア・デザイン」講座について | トップページ | いよいよです♪ »