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2009年10月22日 (木)

洗脳のはじまり(続き)~脱・洗脳へ

さて、昨日の記事の続きです。

私たちは、昨日書いた親子の例のように、「勝ったら喜び嬉しいもの、負けたら残念がり悔しいもの」という「反応するべき感情」を刷り込まれています。

これは沢山ある刷り込みのごくごく一部です。世の中の「刷り込み」の数から比べると、氷山の一角どころか、針の先よりももっと小さい超ミクロな、たったひとつの例です。

その程度というか刷り込みの強度は、育った環境によって違います。

たとえば、常に100点を取ることを求められて育った家庭の子供と、テストの結果なんて聞きもしない家庭で育った子供では、成績やテストに対する考え方が違うのは当然の事だと誰にでも想像できるでしょう。

さて、何が言いたいのかというと・・・ 「悟り」の世界とは、ものごとをありのまま見る世界です。

ちょうど、「あの世に聞いたこの世の仕組み」の雲黒斎さんのブログで、分かり易い図がありました。2つの現実 という記事です。黒斎さん、お借りします・・・。

私たち人間が何かを認識するための道筋は大きく分けて2つあります。

その認識経路をAとBということにしましょう。





一つ目の認識経路(A)に当てはまる言葉は「思考」。

事物を「データ」を通して認識とする流れです。

何かを見たとき、それが何であるかを自分の中にあるデータベースから検索・比較・検討し認識にする経路。

この経路で何かを認識した際の特徴は、その事物に必ず「定義」や「価値」、「意味」が付随していることです。

そして捉えた「何か」はそこに「名前」を得て、「何か」から「○○(名称)」というアイデンティティを持ちます。

先ほど「何かを認識するための道筋は大きく分けて2つある」と書きましたが、実のところほとんどの人間はこの(A)の認識方法しか知りません。

では、(B)はどのような経路かといいますと、そこには何もありません。

事物がそのまま認識となる経路です。

捉えた「何か」は定義も価値も意味も名前も付随することなく「何か」のまま認識されます。

この認識経路が、「悟り」と呼ばれるものです。

私が紹介した事例の、「勝ったら嬉しい、負けたら悔しい」という思いは、上の図でいう「A」の部分にあたります。

昨日例に挙げた子供は、勝つ・負けるに関係なく、ただ、純粋にパパとの追いかけっこを楽しんでいました。パパより遅く到着したって、「負けた」という概念はなく、ただ、純粋にその場を楽しんでいたのです。それが、「B」の視点ですね。

でも、その子供は、パパに「はい、パパの勝ち♪ XXちゃん負け、ざんね~ん」と残念そうに言われることによって、「負けたら残念なんだ」という「A」の感情を覚えていきます。

物心がつく前のあまりにも幼い時期に、「A」の感情を「刷り込まれ」、それが当然のことだと思っているから、「そういった感情を通して現象を見ている」にもかかわらす、「そのままを見ている」と思い込んでいるのですね。 

そうやって、気付かないうちに、たくさんの「刷り込まれた」「反応・感情・思考・分析」という「A」の部分があるからこそ、沢山の方は苦しい思いをされているわけです。

でも、それがなければ、苦しむことなんて何もないということに気付くんですねhappy01

精神世界やスピリチュアルの教えで「重たい鎖を脱ぎましょう」というのは、この「A」の部分を外しましょう、ということです。そして「ありのままのあなたで完璧です」という「ありのままのあなた」とは、「B」の部分の事を指すのですね。

えっと・・・念のため伝えておきますが、「勝ち負け」という「A」にあたる概念が悪いって言ってるんじゃないですよ。

「A」の部分は、勿論、持っていてもいいのですよ。人間なんですもの。捨てなくってもいいんです。

でも、Aを持ちながらでも、Bの視点から物事を見る練習を始めると、人生、楽しくなります♪ だからこそ、「A」の部分に振り回されずに、「B」のようにその現象をありのまま受け取める、幼い子供のような感覚を取り戻してもらえたらなぁって思いますheart04

私の願いは、ただ、みなさんに、幸せに生きて欲しいだけですからnote

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