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2009年9月 9日 (水)

『生まれ変わりの村1・2』 森田健 著

中国の奥地に「生まれ変わりの村」と呼ばれる村があり、そこで、生まれ変わりの人たちをインタビューした本です。

私の「生まれ変わり」に関する知識は、ブライアン・ワイス博士の前世療法シリーズ、江原啓之さんの書籍、飯田史彦さんの書籍が主でしたが、この「生まれ変わりの村」に住んでいる生まれ変わった人たちは、これまでの知識とは異なる特徴を持っています。

私の今までの知識では、「生まれて来る魂が親を選んでいる」というものでした。自分自身で選んでいなくても、ガイドに導かれたりして、生まれて来る側が親を選択するというものです。

また、親を選ぶタイミングは、それぞれあるようでして、ワイス博士によると、通常は受精の時に「予約」をして、胎児の間は、魂が出たり入ったりするとのことで、その間は、「予約」している魂が入れ替わることもあるそうです。そして、魂が確実に体に入るのが出産の瞬間だそうです。

オーラソーマでは、受精の時に、魂が宿るといわれているそうです。(これは、イギリスらしい概念だなって思いました。カトリックでは中絶は殺人と同じと考えられていますから。ただ、オーラソーマでは、「この世に産まれたくない魂もある」と考えているそうで、そういう魂が、生まれて来ることの出来ない受精卵を選ぶそうです。)

しかし、生まれ変わりの村の人たちは、誰一人として、親を選んだ人はいません。

自分が死んだことを認識している・していないにかかわらず、「何かをしていたら、そこに妊婦さんがいて、気付いたら自分が赤ちゃんになっていた」というものです。

自分が死んだことを知らずにさまよっていた人は、自分の体が赤ちゃんになったのを見て、ようやく、自分が一度死んだ事に気付きます。

ある家の子供が井戸に落ちて死んで、その頃隣の家では妊婦さんの出産が始まり、4時間後に、その子が隣の家に生まれ変わった という例もあるので、こういう場合、本人の魂自体は生まれる予約も何も、確実にしてないですよね。きっと、もっと上のレベルでの采配があるのでしょうけど(^^)

私は、ワイス博士の説も、この生まれ変わりの村の説も、両方のパターンがあると思っています。

そして、それはどっちでもいいと思っています。

私自身の印象では、生まれ変わりの村で、前世の記憶を持って生まれて来る人たちは、江原さんが云う所の、霊界と現世のはざまである「幽界」でとどまっている人たちなんだと思いました。詳しい話は長くなるのでここではできませんが、少なくとも、「宇宙意識」には辿り着いていないため、ワイス博士やその他チャネリング情報などの説とは異なるパターンばかりなのでしょう。

まぁ、そういったわけで、宇宙意識とは無縁の体験談ですので、私にとって、読むのがものすごく退屈でした。正直、一冊目の1ページで投げ出そうかと思ったくらいです。

更に、「なんで、今更、こんな情報が、新刊として出てるんだろう・・・」と、かなり疑問でした。

そんな本なのに、何故、紹介しているかというと、2冊目の終わりにある森田健さんの考察が、とても素晴らしかったからです。「なんで、今更、こんな情報が」という疑問の答えが、森田健さんの考察内容で納得できました。

体験談による「あの世」の話をまとめると、次の事がわかります。(詳しくは読んでみて下さい)

・因果応報はない

・善悪はない

・いい加減でいい

・自分を変える必要はない

江原さんや飯田さんの本にある「自殺者の反省ルーム」というのはありません。(とはいえ、江原さんも飯田さんも、自殺者は、「自ら自分の意志で反省しているだけであり、誰かから強制的にさせられているのではない」と仰っています。自殺の理由にもよるのかもしれませんね。)

前世の行いが現世に影響することもありません。(麻薬密売人など犯罪者の生まれ変わり例も紹介されていました。)

ただし、死因や恐怖症などは現世にも影響するようで、水死した人は水を怖がりますし、望まない結婚で夫に暴力を振るわれ、それに耐えかねて自殺した方なんかは、現世でも男性恐怖症のようです。これは、ブライアンワイス博士の「前世療法」にもあるとおりですね。だからこそ、そのような原因不明の恐怖症を持っている人には、退行催眠が効果的なんでしょう。

善悪がない、とはいえ、私たちが住んでいる世界の価値観では、勿論、してよいこと、いけないことがあります。

森田氏の考察によると、それは、現世では「死」があるからだろう、ということです。

『生まれ変わりの村2』森田健著 河出書房新社 P216より

この世には、死があるから善悪という概念が出てくるのではないでしょうか。

死がなければ、殺人もありません。

死がなければ、戦争も起こらないような気がします。

体の傷がすぐに完治するとすれば、傷害罪もないでしょう。

あの世に善悪がないという背景には、こういう条件があるのだと思いました。

そして、私がビビビっときたのは、次の文です。(P223)

 時空には価値観がないようです。善悪もないようです。ということは三六〇度の方向に開いているのです。それを狭い角度に閉じ込めようとしているのが今までの人間の生き方ではなかったでしょうか?

(略)

 僕は成長するにつれ、自分を定義するようになりました。僕はXXであると。

 そういう歴史が自分の人生でした。自分を確立することは、自分の定義を確立することでした。しかし、それは同時に自分の可能性をどんどん狭める結果となるのです。

 生まれたての僕には三六〇度の可能性がありました。「僕は森田健です」といったとたん、僕は僕の固定化された自分を表現しているのです。

(略)

 生まれたての赤ちゃんは、「誰でもありません」。

 僕は僕のままでいい・・・。

 あなたもあなたのままでいい・・・。

そうです、私がビビビっと来た理由、それは、「360度」です。

森田さんは、「生まれ変わりの村の調査」という切り口から、360度の視点と、善悪や因果応報のない宇宙論(?)に到達されたのです。

そして、このような価値観を持って生きることが、これからの時代に必要なことだと私は思っています。

この時代に、このような生まれ変わりの村情報がやっとオープンになり、それを研究した森田さんが、この「360度の可能性」ということで、新しい概念に辿り着かれたことに意味があったのだと思いました。

第一巻のアンケート結果では、感想の第一位が「生きるのが楽になった!」というものだったそうです。素晴らしいですね(^^)

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